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アジアン・ル・マン・シリーズ

GT-1 クラス
68 JLOCムルシエラゴRG-1

開催日程
2009年10月30日(金) 公式予選
2009年10月31(土)/11月1(日) 決勝レース

予選3位
決勝総合4位(第1ヒートリタイヤ/第2ヒート4位)

監督:則竹功雄
エンジニア:宮田 雅史
ドライバー:山西康司/坂本 祐也
マネージャー:明嵐 正彦
メンテナンス:エイティエイト

チームJLOC  http://www.jloc-net.com/index.html
アジアン・ル・マン・シリーズ   http://www.asian-lemans-series.com/news_jp.html


日本で開催されるルマンシリーズ

土日で2ヒート制で争い、シリーズチャンピオンが決まり、各クラス優勝チームには2010年度ルマン24時間レース本戦の出場権が渡される。

2台体制で臨むJLOCは、GT−1クラス4台の中でも目立った存在だった。

僕らはしっかり地元日本の岡山で、2回にわたってプライベートテストを行った。 1回目のテストでそこそこの感触を得られるまでになって、2回目テストでは更にそこから欲を出してブレーキ、デフにいたるまで変更した。

木曜日の午後のドライバー参加受付のため、急遽水曜日に、チームメイト坂本祐也選手に迎えに来てもらい、その日深夜名古屋に宿泊。そして朝名古屋を出て、岡山入りした。

金曜日
ブリーフィングを終えて、フリー走行が始まる。
うわさの域を超えて知ることの出来ないライバル車のスピードを確認しました。
やはり本命となるNOVAのアルトンマーチンは速く、サリ−ンは思ったほどでなかった。

僕らの68号車は、変更してきた物が原因なのか、(事前テストと比較し)突然のフィーリングの違いに驚いた。 車のセットを変更しても突然出るオーバーステアに変化は無く、カーボンブレーキを元に戻し、何とか原因が何かを探ることに力を尽くした。コーナー進入は良くなるがコーナー途中から出口ではオーバーステアのままだ。 もともとカーボンブレーキを使っていない69号車もオーバーステアの情報から、2台共に変更してきたフロントスプリッターも元に戻した。 69号車はそれなりに良かったようだが、68号車は相変わらず酷いオーバーステア。

予選
予選はリヤのサスペンションに応急処置をして、何とか1分31秒台を切った。

GT−1クラス4番手は変わらずだったが、アストンが車両規定違反となり、クラス3番手から、土日両レースをスタートすることになった。

予選が終わってすぐにレースに向けてディファレンシャルを変更してもらった。今回ヨーロッパ勢とのレースでラバーに変化がありこの路面で欲張って変更してきたものはすべて元に戻さずにレースをすることは不可能と解った。


土曜日
朝のフリー走行ではフルタンクにも関わらず予選タイムを大きく上回った。
車は問題なく機能しだした証拠に微妙なセット変化に車が反応してくれた。

第1ヒート
チームメイトの69号車が、ストレートの速いサリーンに梃子摺り、直後にいた僕はリスクを避けながらのレース序盤を迎えた。
最後尾からスタートとなったアストンを駆る土屋選手はGT−1クラストップ3台を交わしてしまったが、僕らはペースを守って走る作戦だった。
69号車はリヤだけ。68号車の僕らは最後までタイヤ無交換で走りきる予定だった。

LMP−1の車両にパスされたサリーンを、69号車がブレーキングでパスした。
それからサリーンのミラーを見ながらの走行が始まった。
あらゆる仕掛け技を繰り出したにもかかわらず結局接触ぎりぎりの closed door燃費作戦に切り替えて走行するが、ピットイン予定周にバイブレーションが。
タイヤかすを払ってからでないと交代後のアウトラップに支障をきたすため、1周遅らせてピットインとなったアウトウッド進入で突然駆動にトラブルが出て、リヤタイヤロック状態となり、出口でマシンを止めた。

第2ヒート
スタートしてすぐに69号車を交わし、アウトウッド出口でポルシェも交わして、5コーナー進入ではサリ−ンに仕掛けるぐらいに迫った。
前日抑えていたのもあり、積極的に仕掛けるが、前日同様厳しい展開。
9周目、LMP−1の車両にダブルヘアピンでインを突かれてスライドしたところに並んでいた。
コーナー進入で焦ったからか突然こちらにハンドルを切って接触、そして勝手に巻き込んでコースアウトしていった。
こちらもコーナー内でスピンし止ったがすぐにレースに復帰した。
タイヤには違和感があり、バランスの良かった車がグリップレベルを下げていた。
それが逆にこの日の路面では振り回せる、走り方で走り続けたので面白かった。
ファーストスティントを走りきって坂本選手に交代。
このレース初めてとなるがセカンドスティントを無事にこなして、タイヤを変えずに、サードスティントも走行してくれた。
最後は燃費に問題があり、ペースを落とさずにいられなかったようだが、これは原因不明のトラブルでした、クラス4番手完走となりました。

レースはアストンが前日のリベンジを果たし快走。
JLOC69号車は後ろから逆にサリーンに追い立てられ、周回ごとに差が無くなる。
最後10周はピットの中では怒声が上がっていたが、井入選手は最終周で並ばれながら2位を守りきり、コンマ1秒差で出場権を獲得しました。

全員レース、という感じはあったが、チームJLOCは総合力で上回ったのと、監督の意欲が運を引き寄せたとも思う。
則竹監督と、チーム全員におめでとう。
徹夜で68号車を組みなおしてくれたスタッフ全員にも感謝します。
それが無ければ出場権を獲得することは無かったのは事実だった。

余郷、井入両ドライバーはきっちりレースをした。
どちらかが勝てるようにと思っていたので、最高の結果でした。
初のアジアンルマンシリーズチャンピオンに輝いたのは素晴しいことでした。

また、他の海外チーム、ドライバー(日本人も含め)全員が素晴しいシリーズを共有できたことを嬉しく思いましたし、自分の欠点長所を改めて見つめて、後レースをしていくことの糧にできればと思います。
WTCCのトップレベルにも忘れたものをみた。
日本の持つ潜在的なパワーも誇らしく感じた。

多大な応援、どうもありがとうございました!!